ブログ日記/その他
写真


なぜこのようなものを写真と呼ぶのか、いつも疑問に思います
そもそも写真は
真実(本来の姿)を写すと書きます
シャッターを開いた分だけ、写したものがどのように過ごしたかをしっかり記録できますからね
この当て字で間違いはなさそうですが
最近はそうとも言い切れません
当て字
本来の姿を映すことしかできない時代だったら問題ないのですが、写真に対して改変を行うことが容易になった今日。写真と表現することに大分無理があるのでは?と思います
Lightroomの生成AI削除はもちろんのこと。少々過激ですがスマートフォンでの撮影したものもこの表現でいいのか疑問に感じます
生成AIを利用した削除、これは非常に便利です
予期せぬものが移りこんだりした際になかったかのように修正できるので、使えないカットを減らすことができます


修正できることに問題があると感じているのです
修正してしまえば、それはもう本来の姿とは言えなくなりますからね
スマートフォンでの撮影

スマートフォンでカメラユニットに割けるスペースは小さく、小さく限られたスペースでそこそこの写真を生み出すためにスケーリングという技術を活用しています。Gadgeteerを読んでいる人なら技術の説明は不要だよね(((
...そうです。本来の姿を無理やり雰囲気に合わせて拡大(=生成)しています。これを本来の姿と呼んでよいのでしょうか。少々過激なことを承知な上で疑問視しています
この"写真のような何か"をどう扱えばよいのでしょうか
生成AIサイトでよく見かける"画像"という表現は悪くなさそうですが、少々味気ないですよね
英語にしてみたらどうでしょうか
写真を英訳してみる
"写真"を英訳すると"photograph(フォトグラフ)"になります。しかしルーツは全く異なったものになります
"photograph"を二単語で構成されており、"photo"はギリシャ語で「光(=アート)」を、"graph"は絵を意味します
"光のアート"、ということになります
これまで疑問視してきた「本来の姿を写せているのか」という問題に関してはクリアできましたが、果たしてコンピュータ上で改変したものを"光のアート"と呼んでいいのでしょうか
アートにとどまるのなら全く問題ないですが、"光"がついていいのか。微妙ですよね
写真よりかは多少ましですが、光を介さず改変されたものを"光のアート"と呼んでいいのかは疑問です
...あー疑問が増えた
結局は
写真とはなんだろうか。という疑問は常に持っておくべきだと思いました
AIの進化、スマートフォンの普及。写真の在り方が変わろうとしている今日に写真を楽しもうとするうえで必要なことです
あー、写真っておもしろい。写真ってわからない。全部ひっくるめて写真が好き

まとめ
哲学か何かですか?これ



ポートレートというところに限定すると、真の心を写すこと、それが理想的な姿なのかなと思う今日この頃です。
僕は結構フィルム写真好きですw あと、ソニーのコンデジもメモリースティックが入るので好んで使っています
最近は年齢問わずスマホやデジカメ使わず、フィルムを使った有限の撮影回数の機材で
風景や撮りたい瞬間を厳選するみたいなのを選択する人もいるそうですね